官野一彦のIFWE日記:第9回 周りに感謝し、手を取り合って前に進む

 

ダッソー・システムズでは、社員に対して「IFWE(もし◯◯ができたならば)、世の中をこのように変えられるのではー」という4つの価値基準(コア・バリュー)を掲げています。 お客様の課題解決であれ社会に関わる取り組みであれ、これらの価値基準をもとに自らに問いかけ、チームを作り、アイデアを形にしていきます。 この「IFWE日記」シリーズでは、パラアスリートとして車いす競技で活躍し、起業家としても活動する当社の社員、官野一彦(かんの・かずひこ)が、どのようにこの4つの価値基準を体現しているか、ブログ形式でお伝えしていきます。

 

こんにちは。ダッソー・システムズの官野です。5月に控えるパラサイクリングのワールドカップ2戦に向けて、強化のために沖縄で合宿を行ってきました。今回の合宿は二部構成を予定しており、先日、第一部をうるま市の海中道路で実施しました。ここでは主に橋の登り下りを使ったトレーニングを行いました。天気にはあまり恵まれず、8日間の滞在期間中、晴れた日は1日のみでしたが、しっかりと走り込むことができました。来月に予定している合宿第二部では、島の北部でロング走など、より厳しいメニューを予定しています。

 

今回の沖縄合宿は、私のコーチや、前競技の車いすラグビー時代の友人たちの協力のおかげで成立しました。滞在期間中の移動手段や、身体のメンテナンスのためのマッサージの手配などをサポート頂きました。

 

ダッソー・システムズのIFWEバリューの一つに「コミティの力が一つになれば、手を取り合ってゴールを目指せる」というものがあります。周りからのたくさんの協力や理解があってこそ、私たちは夢を追いかけることができるのです。感謝を忘れずに、前に進んでいきたいと思います。

 

 

パラサイクリングとは

パラサイクリングは、1984年のニューヨーク・アイレスベリーパラリンピックにてロードが正式競技となり、1996年のアトランタパラリンピックにてトラックも正式競技となりました。視覚障害と運動機能障害の選手が出場する種目で、障害のクラスに応じて使用する自転車が異なり、通常の2輪自転車、3輪の自転車、手でペダルをこぐハンドサイクル、視覚障害の2人乗りタンデムの4種類があります。

 

<官野一彦のIFWE日記 バックナンバー>

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官野一彦のIFWE日記:第6回 トレーニング場所を巡る葛藤、米国での驚き、そしてユニバーサルジムの設立へ | ダッソー・システムズ株式会社 公式ブログ (3ds.com)

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官野一彦 (Kazuhiko Kan’no)

官野一彦 (Kazuhiko Kan’no)

アスリート、起業家、会社員。2006年から車いすラグビーを始め翌年に日本代表入り。’12年ロンドンパラリンピック4位。’16年リオパラ3位。’17年10月にダッソー・システムズ入社。 ’18年世界選手権1位。’20年3月に引退。現在、パラサイクリングへ競技転向し’24年パリパラを目指す。
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